人間ドックについて

境界値の決め方

判定に使う数値の成り立ち

はじめに

人間ドックや健康診断では、ある数値をもとに病気の疑いがあるかどうかの篩い分け(スクリーニング)が行われたり、「要治療」などの判定がなされたりします。この値はどのようにして決められているのでしょうか。この際に必要となる「基準範囲」、「カットオフ値」の意味について考えてみたいと思います。

1.基準範囲について

人間ドックや健康診断では、しばしば基準値、あるいは基準範囲という表現が使われます。この「基準範囲」の求め方ですが、通常次のようなステップを踏んで行われます。

  1. 医学的に健康な人たちを集めます。これを「基準個体」と言います。
  2. 基準個体の測定値を集めます。これを「基準値」と言います。
  3. 基準値を120例以上集め、そのうちの95%を含む中央部の数値を求めます。正規分布であれば、基準個体の平均値±2標準偏差となります。(図1)
基準範囲の設定
図1 基準範囲の設定

この定義には、「病気の人はどうなのか」という内容が含まれていません。ですから、病気の人と健康な人が示す測定値の分布が完全に分離されているような検査では「基準範囲」の中にあれば安心、と言うことになるのですが、両者に重なりがあればそうは行きません。必ずしも「基準範囲」と言う言葉が「正常値」あるいは「正常範囲」と言う意味を持たないことに注意が必要です。

「基準範囲」内に測定値があっても、「正常である」あるいは「病気ではない」ことが保証されない例として、たいてい疾患の初期には検査の値はそれほど変動しません。極端な例としては、代償性肝硬変といって、肝硬変であっても肝臓の予備力がぎりぎり残っている場合、一般の肝機能検査がすべて「基準範囲」内になってしまうことがあります。肝硬変なのでちょっと無理すれば破綻が来るような状態でも、辻褄が合っている状態の時にはデータに異常が出ないことが結構あります。

逆に、「基準範囲」外であっても、上述の定義から明らかなように、5%の人ははみ出しますから、必ずしも病気とは言えません。この点にも注意が必要です。

2.カットオフ値について

この「カットオフ値」とは、病気の診断を目的として設定する値です。「病態識別値」と言っても同じことです。この値を超えた場合(あるいは達しない場合)には注意を喚起したり、再検査としたり、精密・二次検査を指示したり、治療を始めたり、保健指導を行ったりするための数値であり、人間ドックにとっては重要な数値です。

カットオフ値の設定(1)
図2 カットオフ値の設定(1)
カットオフ値の設定(2)
図3 カットオフ値の設定(2)

基準個体群(健康な人たち)と疾患保有群(病気の人たち)が完全に分離しているような検査では、このカットオフ値を両者の中間に取れば、偽陽性(引っ掛けすぎ)や偽陰性(見逃し)が出ることはありません(図2)。

しかし、大抵の場合は基準個体群(健康な人たち)と疾患保有群(病気の人たち)の示す数値には重なりがあり、この重なりの範囲のどこかにカットオフ値を設定することになります(図3)。

ある病気になると数値が高くなる検査の場合、カットオフ値を高く設定すると(ハードルを高くすると)、異常とされた人は確実に病気ですが、その代わり見逃しも多くなります。逆にカットオフ値を低く設定すると(ハードルを低くすると)、見逃しは低くなりますが、逆に健康なのに引っ掛かってしまう可能性が増えてしまいます。病気でもないのに検査を受けさせられることになって、二次検査の負担が大変になります。

カットオフ値をどこに設定するかは、検査の目的、病気の重大性などを考えて設定することになります。例えば、癌の検査であれば少々二次検査に負担が掛かろうと見逃すわけには行きません。

以下、カットオフ値の設定の仕方についてもう少し詳しく見ていくことにします。

スクリーニングの効率が最も良い値の場合

一般に、カットオフ値を正常側にしすぎると、見逃しは少なくなりますが、本当は正常なのに二次検査を受けさせられる人が増えてしまいます。反対に、カットオフ値を異常側にしすぎると、異常とされた人はまず間違いなく患者ですが、見逃しが増えてしまいます。そのバランスがとれたレベルを篩い分けの境界値とする、という考え方です。

ある病気の発症確率が上がり始める値の場合

この考え方で設定されたカットオフ値の代表例はLDLコレステロールや血圧でしょう。

LDLコレステロール値や血圧が高ければ高いほど、狭心症や心筋梗塞といった虚血性心疾患の発症確率が高くなります。虚血性心疾患の発症リスクが上昇し始める境目の数値をカットオフ値とする考え方です。

発症リスクの変曲点がはっきりした疾患でないとこのようなアプローチは採用できません。また、どの年齢層までこの関係が成立するのか、あるいは少しでも発症確率が上がればまずいと考えるのか、あるいは許容できるならある程度までリスクを認めるのかといった問題も派生してきます。

病理学・生理学的に理論付けられた値の場合

例えば、痛風・高尿酸血症学会で定められた尿酸値の上限は、尿酸がどのくらい血中に溶けうるか(溶解度積)から理論的に定められており、男女ともに7.0mg/dlです。

実は、この値を採用している施設は意外に少なく、男女別に定められた平均値+2標準偏差を採用しているところの方が多いのです。しかし、痛風や尿酸結石の発生に至る尿酸値が男女でそう違うわけではない一方、女性の方が尿酸値は低いので、痛風は圧倒的に男性に多い病気です。それなのに、男女別に平均値+2標準偏差を算定してしまうと、男性に多い病気のスクリーニングなのに、男女ともそれぞれ2.5%に要注意をつけてしまうといった不合理が起きます。男女差があるからスクリーニングの数値も男女別というのでは、考え方としては単純過ぎるでしょう。問題は、発症機序、あるいは疾患に対する忍容性に男女差があるかどうかです。

これとは逆に、例えば貧血のように、女性にとって何でもない値でも男性にとっては耐え難く、男性だったら死んでしまうような数値になっても女性は多くは耐えられる、と言うような病気なら、男女差を設けるのは絶対に必要で合理的です。

しかし、痛風に関しては、一旦ある数値に尿酸が上がってしまえば、男女ともその数値の元での発症リスクは同じくらいです。ただ、女性の方がそういう数値にはなりにくいので、実際の患者数は圧倒的に男性で占められるわけで、スクリーニングされる受診者数もそれに比例した数になるべきと考えます。

統計的に定められた値の場合(基準範囲をそのまま使う)

以上のような根拠となる数値が理論付けできない場合(むしろそういう検査のほうが多いのですが)、あるいは人並みであれば無難といいきれる検査の場合、多くは健康とみなされる人の平均値±2標準偏差をカットオフ値の代用とします。これは基準範囲をそのまま使うことになります。しかし、GPT、γGTP、中性脂肪など、生活習慣や肥満などの影響が大きい検査は平均値±1標準偏差を取った方が妥当な場合も多いです。

3.個人別健常範囲について

その人が健康だと分かっている時のデータから、その人にとって許容できる変動範囲を求め、これを基準とすることができれば、より理想的と思われます。しかし、これを求めるのは困難です。20代の時のデータをもとにすればよさそうですが、その頃から人間ドックを頻繁に受ける人はまずいませんし、その後の変動はもしかすると、歳を取ったことによる、生理的なものかも知れません。年齢による変動が大きい検査も結構あります。以上のことから、個人の健常範囲を求めるのは本質的困難があります。また、少なくとも10回は連続して受けていただかないと、信頼に足る数値は出てきません。

このような個人の健常範囲がもし設定できた場合、これが有効と思われるのは、集団の中でのばらつきが、同一個人内の変動よりもかなり大きい検査です。つまり、個人差が大きい検査です。アミラーゼ、LDH、ALP、白血球数などが該当します。逆に、生命維持に直接結びつく物質ほど個人差が少なく、基準範囲と個人の健常範囲の差が少なくなるようです。ナトリウム、カリウム、カルシウムなどの電解質が概ねこのグループに属します。

4.人間ドックの結果表を見る際の注意点

「基準範囲」と「カットオフ値」は上に述べたように別々の概念なのです。判定に使われる値はある疾患の篩い分け、ひいては予防や治療を目的にしているので、上に述べた意味では「カットオフ値」です。しかし、結果表においてはこれを「基準範囲」として表示していることがほとんどです。

単に混乱しているだけの場合もありますが、多くの検査で「基準範囲」が「カットオフ値」として使われている事情もあります。また、上で述べた意味の「基準範囲」をそのまま出してしまうと、「カットオフ値」が「基準範囲」内に深く入り込んでいるコレステロール値のような検査では、「なぜ基準範囲内なのに要精密検査とされたのか」などと言うことになってしまいます。それで、便宜的に基準範囲の欄にカットオフされない数値を書いておくことになります。この場合、「カットオフ値」が上限として示されることになります。

生活習慣病関連の検査項目では、厳密な意味での正常個体を求めるのが難しく、個人差も大きく、どうしても「基準範囲」と病的な値が大きく重なってしまいます。また、ある意味では多くの人が半健康半病状態なのかもしれません。

実際の判定では、この値が通用する年齢範囲、許容するリスクの程度、その値を超えたことがその人にとって持つ病態生理学的意味合い、健康だった時期のその個人の特性(個人別の基準範囲)、他疾患の影響などが考慮されますので、この数値のみで機械的に判定しているわけではありません。例えば、90歳になって出てきた総コレステロール値250mg/dlに目くじら立てるようなことは普通はいたしません。

また、前にも述べましたが、「基準範囲」内であっても病気の場合もあれば、「基準範囲」外であっても健康な場合もあり、この言葉が「正常値」あるいは「正常範囲」と言う意味を持たないことには注意が必要です。このことを再度確認した上でこの稿を終えたいと思います。

追記(2014/06/14)

朝日新聞が4月5日付朝刊1面で、「『健康』基準広げます」と見出しをつけ、日本人間ドック学会(以下、学会)と健康保険組合連合会(以下、健保連)が「血圧や肥満度などについて健康診断や人間ドックで『異常なし』とする値を緩めると発表した」と報じたとされる件ですが、これも「基準範囲」と「カットオフ値」を混同したために起きた事件と言えます。日本人間ドック学会と健康保険組合連合会が発表したのは「基準範囲」の検討結果、それも中間報告であり、この範囲内なら健康で疾患リスクも上がらないという数値ではありません。実際には専門学会が勧告した「カットオフ値」とはオーバーラップがあり、受診者が本来疾患群に入るのか健常群に入るのか事前には分からない以上、「カットオフ値」も考慮のうえ要注意=グレーゾーン的な扱いをするのは避けられません。ある程度(少なくとも数%以上)の疾患発症リスクがあるグループとして扱うことになります。

参考文献

福武 勝幸;総合健診における精度管理-基準値・カットオフ値の考え方-;日本総合健診学会誌;26(4);406-409;1999