検査はやれば良いというものでもない点について

どんな検査でも感度と特異度というものを考えることができます。感度とは実際に病気である人を正しく陽性と判定する率、特異度とは実際に病気でない人を正しく陰性と判定する率です。

現在問題になっているコロナウイルスに対するPCR検査の場合、感度は良くて70%、特異度は99%くらいと言われています。

仮に総人口100万人のうち患者が1000人発生している県で全員にこの検査を施行した場合、

実際に病気あり実際に病気なし合計
検査陽性700999010690
検査陰性300989010989310
合計10009990001000000
表1 罹患率0.1%の場合

本当は700人治療・隔離すれば良いのに、10690人も収容施設が必要になることになります。一方、300人の人が野放しになってしまい、病原体をばらまく可能性が出てしまいます。罹患率が低い場合は無駄な病床がたくさん必要になるという面が強くなってしまいます。陽性者のうち真に患者であるのは10690人中たった700人。これを陽性反応的中率と言いますが、何とたったの6.5%程度に過ぎません。

これが流行が進んで本当は10万人の患者が居る状態になった場合は、

実際に病気あり実際に病気なし合計
検査陽性70000900079000
検査陰性30000891000921000
合計1000009000001000000
表2 罹患率10%の場合

この状況では陽性と出た79000人のうち本当に患者なのは70000人ですから陽性反応的中率は88.6%です。この段階では陽性と出た人はまず患者でしょう。その一方で30000人を野放しにするというリスクが出て来ます。

つまり特異度が高くても感度が低い検査は罹患率が低い段階では非効率的、罹患率が高くなると今度は見逃しのリスクが表面化してしまうことになります。どちらの場合でもやれば良いとは言えません。

検査の大原則として、検査結果によりやるべきことが変わらないのであれば、その検査はすべきではない検査です。この検査の特性から見れば、大流行となった場合は検査が陰性であっても見逃しが多いので、無症状な人は検査が陰性であろうと陽性であろうと家に籠っていてもらうことになるので、無症状者のスクリーニングとしてみた場合にはむしろやってはいけないとさえ言えてしまいます(偽陰性者が安心して出歩かれると困る)。

しかし、すでに肺炎を起こしてしまっていて事前確率が20%くらいあるのであれば、検査が陽性なら専用の施設に隔離して集中治療ができるようにすることになります。事前確率が20%の場合は高い特異度が効いて偽陽性はあまり問題になりません。この場合は検査で治療が変わるので検査はやるべきものになります。

このように感度は低いが特異度が高い検査は事前確率が高い時には紛らわしさが少ないので、怪しい人の確定診断向きと言えますが、スクリーニングに使うと見逃しが多くて困ることになります。

それでは、逆に感度99%、特異度70%の検査ならどうでしょうか。罹患率10%の場合、100万人にこの検査を行うと、

実際に病気あり実際に病気なし合計
検査陽性99000270000369000
検査陰性1000630000631000
合計1000009000001000000
表3 感度は高いが特異度が低い場合

野放しは1000人に減りましたが、陽性者が369000人出てしまいました。このうち真の陽性は99000人ですから、このままでは病院がパンクします。この検査だけに頼るのは不可能です。

しかし、二次検査から見たこの陽性者集団は事前確率が26.8%ありますから、確定診断のために先ほどの検査をすると、

実際に病気あり実際に病気なし合計
検査陽性69300270072000
検査陰性29700267300297000
合計99000270000369000
表4 検査を組合せた場合

新たに29700人が野放しになり合計30700人が陰性判定を受けますが、陽性者は72000人となり、この検査をいきなりスクリーニングに使った時よりも7000人ほど負担が減っています。トータルでは700人偽陰性が増えますが7000人偽陽性が減ります。

実際には感度99%で特異度70%という検査はそうありませんから、あくまでも架空の検査ですが、スクリーニングは感度の高い検査、確定診断は特異度の高い検査というのは定石ともいえる検査の組み合わせです。

いずれにしても検査はやれば良いというものではなく、やるとかえって害をもたらすという場合もあるものですので、PCR検査を事前確率の高い集団に限って行う、という日本流の考え方はそれなりに正当性のある考え方だったと言えると考えます。