小坪慎也氏のSEALDsに対する論説に甘さを感じ、評価は出来ても同調は出来ない

福岡県行橋市の市議会議員である小坪慎也氏による8月21日付iRONNNA収載記事「SEALDsは共産党や中核派と混同されても仕方ない」において、著者は以下のように述べている。

「政治活動」であれば、影響はないと述べた。そして影響はあってはならぬという信念を持つ。その上でSEALDsと就職活動という論点から言えば、影響は出てしまう状況に移行したと考えています。SEALDs自身が各種団体との距離感を見誤り、結果として混同されつつある状況にあるためだ。これは学生側の問題というよりも、周囲にいた大人たちの責任だと考えています。組織論から言えばSEALDs側の指揮采配のミスですが、彼らが「新たな参加者」である以上、配慮が求めれるのは大人たちであったように思う。

一部の参加者は余りにも激しい文言を用いており、SEALDs自体のイメージが急速に悪化しつつある点にも注目したい。組織維持の一環として、ブランディングとしてSEALDsの指揮官級が指揮・判断すべき案件ですが、それらの指揮能力を学生に求めるのは酷というものだろう。政治活動の経験不足ゆえ、組織防衛のノウハウを持たぬゆえの悲劇です。

iRONNNA収載記事「SEALDsは共産党や中核派と混同されても仕方ない」より

しかし、この認識は甘いと思うし、全く賛成できない。私は、この団体が中核派や共産党と最初から関係があるか、もしくは乗っ取られるかして最終的には過激派と一体化するであろうことが分からないほど今日の学生は初心ではないと思う。むしろ、分かっていて、それでも日本国もしくは日本人に対する怨念をぶつけたくて参加したのではないかとさえ疑っている。その位今の20代は左翼的だと思っている。だからこそ左翼が仕掛ける憎悪の怨念に易々と取り込まれたように見えている。先の参議院議員選挙で中核派の支援を受けた山本太郎に600,000票も入ったのと同じ現象とみている。

そして、予想通り彼らはありったけの呪詛を保守の側に投げ始めた。彼らが投げる呪詛は少なくとも私にとっては効果的に古い怨念を呼び覚ますものだった。1973年に那覇市と立川市の共産党市長が自衛隊員とその家族に仕掛けてきた、住民登録拒否。そのために、6歳の子供が小学校への入学が出来なくなった。彼らを支持する者たちは「憲法違反の自衛官には人権はない、だからその子供にも教育を受ける権利はない。お前たち自衛官の子供は学校から追放されて路頭に迷って野垂れ死にしろ。」と呪詛を投げた。その残滓が残っていたのか、1985年になってもなおある者は、「自民党や民社党を支持するような人間、学生運動をさせないために作られた中教審大学である筑波大学を唯々諾々と卒業できるような人権感覚のない人間は医師として不適格だから辞職しろ。」というような呪詛さえ投げた。しかし、私が受けた呪詛などはまだ可愛いものである。あちこちの労働組合の団交で吊し上げを食って精神的に壊れてしまい、その後遺症に今も苦しむものが数多くいる。

そんな人たちが、60年安保の再来とも言える彼らの行動を見て、古い怨念を掻き立てられたらどうなるか。就職差別で彼らが没落し、二度と左翼運動が立ち上がれないようにダメージを食えばいいと思わないだろうか。各企業には、その意思を実行できる立場に居る人事権を持つ者も多かろう。私でさえ正直言って左翼へのこうした復讐心が消えないのだから、企業の第一線で働いてきた者はもっと拒否的になるのではないだろうか。

同じような心配を小坪慎也市議もしたようで、

学生自身は、その重みを理解はしていないだろう。少なくとも私は、当時はまったく理解できなかった。いま当時を振り返るに、本当に恥ずかしい。大人となった今、社会人として先輩としての自覚を持ち始めた今は、かつての自分を恥じつつ、異なる思いも持っている。多くの大人たちは、この重みを理解して頂けると信じたい。ゆえに、両陣営ともに配慮をお願いしたい。学生たちに配慮を。

iRONNNA収載記事「SEALDsは共産党や中核派と混同されても仕方ない」より

と述べている。氏は政治家として非常に誠実な方なのだとは思う。しかし、この点についても氏は甘いと思った。もうステージは怨念のぶつけ合いの段階に入っており、おそらく社会から彼らへの反作用が遠からずやってくるであろうし、私自身、感情的にはそれに加担したいくらいである。

いくら左翼に反感を持ったからと言って、そう思うということと、そうして良いということは全く別のことであり、小坪慎也市議と同じ程度には理性的に考えるべきなのだろうが、彼らSEALDsに対してはすでに共産党や中核派と一体化した団体としての感情的な対処しかできない。だから、小坪慎也市議のこの論説に対して評価は出来ても同調は出来ないと思った。