でもしか先生というのは医師の世界では絶滅して久しいが

「でもしか先生」という言葉がある。ウィキペディアによると、

でもしか先生(でもしかせんせい)とは、日本各地において学校の教師が不足していた第二次大戦終結から高度経済成長期(おおむね1950年代から1970年代)に教師の採用枠が急増し、教師の志願者のほとんどが容易に就職できた時代に、「他にやりたい仕事がないから先生でもやろう」とか「特別な技能がないから先生にしかなれない」などといった消極的な動機から教師の職に就いた、無気力で不活発な教師に対する蔑称である。

ウィキペディア より

ということだが、昔は少数ながら医師にもそういう人がいた。東大理Ⅰか京大理学部に行きたいが受かりそうもない、駅弁国立大学の医学部や私立中堅クラスの医学部なら受かりそうだ、食いっぱぐれもないし「医師にでもなるか」。という塩梅であった。

自分もそうではなかったのかというと、忸怩たるものがある。高校3年生の頃。文系から理転して本心では物理屋さんになりたかったのだが、物理学者として第一線を張るにはいまいち頭の切れがない。京大理学部に行くには一浪すれば何とかといったところ。しかし、当時地方の国立新設医大なら80%以上の確率で現役合格できそうだった。医学部なら超絶的に頭が良くなくても、詰め込み教育に耐えられれば何とかなりそうな気がしていた。というわけで、心理的には「でもしか先生」と言われても仕方がない引け目があった。高校生の時に初志貫徹できなかった結果が今の医師たる自分なのだから。

しかし、最近の医学部の難化傾向は驚くべきものがある。河合塾の偏差値だと筑波大医学専門学群と東大理科一類の偏差値がほぼ同じ。筑波大は国立医学部の中ではそんなに偏差値の高い方ではないから、多くの国立大医学部は東大の理学部に行くより難しいということになる。これでは「医師にでもなるか」はあり得ても、「医師しかできない」はあり得ない。だからと言って志が高い人ばかりではなく、医師になること自体が目的としか思えない人が少なくないように見えるのは相変わらずであるが……。

それにしても、でもしか先生というのは医師の世界では絶滅して久しいのは間違いない。そんなに勉強のできる人ばかり集めていいのか、という疑問が出てしまう。自分が学生だった時代、医学教育についていくには知能指数が130あれば十分という論文が医学教育学会の学会誌に出ていた。標準偏差を16とすれば偏差値に換算すると68くらいあれば良いということだ。河合塾なら優秀な生徒が多いから同校のテストなら60取れれば資格ありとしてよかろう。実際には河合塾によると最も易しい大学でも62.5くらい、多くの医学部は65以上。医師ってそんなに人気になるほど魅力的な職業とは思えないのだが……。多くの急性期病院は3K職場そのものだし、私が初期研修医だった頃は、財務省主計局と張り合える月200時間の時間外労働が珍しくなかったのだが。不況が長く続きすぎて、医師以外の職業では賃金が低すぎるようになったのだろうか。

しかし、厚生労働省の官僚は医師の収入を半減させるのにご執心だそうなので、そのうち昔のソビエトロシアのように、医師の収入は普通の労働者の半分、ということになってしまわないとも限らない。いい加減に今の医学部人気をそろそろ終わりにしないと、人生を棒に振る人が続々と出てきそうな気がする。