県境を越える移動を自粛せよ、という言説に違和感

コロナウイルス感染が拡大していた時期、盛んに「県境を越える移動を自粛せよ」と唱える人たちをあちらこちらで見かけた。「不要不急の」という修飾語がついてはいるものの、一部の県では他県ナンバーの車を破壊する、という犯罪も起きているという。

しかし、県境をそんなに絶対的な壁とみなす感覚に激しく違和感を持ってしまう。生活圏が県境を越えるところはそんなに珍しくない。東京都に隣接するすべての県と東京都の間はもちろんのこと、千葉県の北総地域と茨城県の常総地域も普段から人的移動が多い。利根川の両岸ともに旧下総国であり、過去には利根川の両岸が印旛県という一つの県だったことからも両者の関係の深さは納得できるものである。実際、稲敷市や稲敷郡河内町から成田市や印旛郡栄町への通勤者もかなり居て、もし県境を越える移動が(今の憲法では不可能だが)戒厳令でも出て禁止されたら成田市や印旛郡栄町の病院は機能停止に追い込まれるだろう。

そもそも、利根川自体が取手付近では江戸時代の治水工事による人工的なもので、印旛県を千葉県と茨城県(一部埼玉県も)に分割するまでは県境でも何でもなかったはずである。この他にも千葉県と茨城県には鹿嶋市と香取市のように古代から交流が深い地域があり、県境を越えて移動を自粛したら生活圏が分断されてしまう現実がある。

もちろん、県当局は生活圏を同じくする県境の両側間の移動まで自粛させるつもりはなく、だからこそ「不要不急の」という枕詞を付けるのだろうが、いわゆる自粛警察の面々にとってはそんなのは関係なく、他県ナンバーを見ると悪即斬、とばかりに攻撃するのだろう。しかし、そんなに県境を絶対視できる感覚というのがどうしても分からないのである。

参考