文系と理系の二元論的な分け方に違和感

Yahoo!知恵袋や類似のサイトを見ることがあるが、高校のときの進路選択で文理のコース選択を高校2年生にさせている学校が今でも多いようだ。文系を選べば数学Ⅲ、数学Cや理科Ⅱはまずやらないし、理系を選べば古典や社会科の履修は殆ど無くなってしまうようだ。

現実に大学の入試科目への適合性を考えるとそうなってしまうのかもしれないが、自分の適性がそれに適合しない人も少なからず居るのではなかろうか。高校時代の筆者も文系・理系という分け方には大いに違和感を覚えた口である。

一般に文系とされる教科というと国語科と社会科だろう。そして、理系とされる教科は数学科と理科ということになる。しかし、国語は人文学だし、社会科は社会科学、数学はむしろ論理学や哲学に近いので人文学に近い。理科は自然科学だから、この4教科はそれぞれかなり毛色が違う。

人文学・自然科学・社会科学を分類するのに、読書猿Classic: between / beyond readersさんの2010年1月16日付け記事「サルでも分かる人文科学/社会科学/自然科学の見分け方(分割図つき)」という記事で採用されている図が非常に分かりやすい。これによると、次の3つの分類が可能らしい。

  • 理系/文系の区分
  • humanities と the science (あるいはartsとsciences)という区分
  • 本質主義(essentialism)と構成主義(constructivism)の区分

これによると、それぞれ

  • 自然科学v.s.人文学+社会科学
  • 人文学v.s.自然科学+社会科学
  • 人文学+自然科学v.s.社会科学

という組み合わせが出来てくる。理系科目でありながら科学ではなく人文系の学問と思われる数学をどう扱うかに難点はあるが、モデルとしては使える分類だと思う。

このモデルだと、国語と理科が得意科目とか、理科と社会が得意科目という文系と理系をまたがってしまう生徒の存在が納得しやすくなる。自分自身、高校に入るときは理科と社会が得意で、科学ではない国語に苦手意識を持っていたが、高校を出るときには社会科学に苦手意識があって、人文学である国語が強力な得意科目になっていた。理科と数学も悪くなかったので、上の分類で言う「本質主義」の世界にどっぷり浸かっていたことになる。

事実、上記の記事に引用されている「物理学が教えてくれることは、自然には、人間の都合に付き合ってやる義理は無い、ということである」というファインマンの言説には非常に引き付けられたし、「自然科学の対象は、社会科学の対象=ヒトのように、研究者や政策立案者の意図を予期したり逆らったり利用したり裏をかいたりしない」という点にも魅力を感じていた。

人文学の分野はすべての基礎になることも考えると、文系・理系とコース分けするのではなく、国語と数学と外国語は全受験生に同じレベルで課し、人文系の学部はそれだけで勝負させ、自然科学系の学部はこれに理科を加え、社会科学系の学部にはこれに社会科を加えるという形の方が違和感が少ない。

もちろん、医学のように人文学、自然科学、社会科学のすべてが必要な分野もあるから、これで割り切れるわけではないが、文系・理系という2区分よりは人文系・自然科学系・社会科学系の3区分の方がより馴染みやすい。

今度はテクノロジーを扱う工学をどこに入れるのかという問題があるような気もするが、数学、サイエンス、テクノロジーは全部別の括りになるのが自然だと思う。

文系・理系の境界線でどっぷりと迷いに迷った末に医学という学際的な分野でお茶を濁す道を選んでしまった筆者としては、日本特有といわれる文系・理系という2分法はどうにかならないものかと思う。

追記

学問を人文・自然・社会の3系統に分けるのは欧米の伝統だそうだが、これでは居場所がうまく見つからない学問が出てくる。まずテクノロジーに属する工学。自然科学には近いが、自然科学そのものではないし、社会工学というものもある。エンジニアリングは学問ではないといってしまう手もあるが、そういうわけにも行かないだろう。次に数学。学問の性質としては自然界とは縁もゆかりもない閉じた系を作って論理を自由に展開していける学問だから、サイエンスではない。従って人文系の学問と言っていいのだが、他の人文系の学問と毛色が違いすぎる。最後に芸術。アートだから人文系と言って良いのだろうが、果たしてこれは学問なのだろうか。どうにも据わりが悪い。