記憶に残る車両:キハ40

回想録となるとどうしても国鉄車両が多くなってしまう。このキハ40は国鉄末期の1977年に登場。それまでローカル線で働いていた一般形気動車の置き換え用として大量に製造された。本線で急行として運用することも可能なくらい重装備の車体(事実、急行に使われたことさえあった)を持ちながら、装備するエンジンはたったの220馬力/1600rpm。重い図体にいかにも非力なエンジンなのだが、当時の国鉄の状況、さらにエネルギー事情を考えると仕方のないことだったのかもしれない。スピードアップ、パワーアップなんか忘れ去られた時代の形式だったように思われる。しかし、近郊形相当の車内設備はキハ17などに比べれば確かに大幅なレベルアップであったのもまた確かな事実である。

図1 キハ40の車内

このキハ40にはじめて乗車したのは1979年、少年工科学校を卒業した中学の同級生が帯広駐屯地に転属したのを訪ねた時であった。帯広から旭川まで乗車した急行に連結されていたのだが、流石にまだ新しいだけあって急行に連結されていても不自然ではなかった。だが、キハ40の座席に座っていて、なんとなく居心地が悪いように感じられた。シートピッチ、座席の幅ともに急行形のキハ56とほとんど差がないはずなのだが、どうにも落ち着かない。50系客車同様窓側に肘掛がなかったと言う理由もあるが、気動車のくせに415系などと同様の無機質な内装だったためではなかったかと記憶している。このときは座席で寝転がりたかった(列車は非常に空いていた)ので、結局乗り慣れていて気分が落ち着くキハ56の方に移動してしまった。

2回目にキハ40に遭遇したのは、1985年、函館から大沼公園まで普通列車に乗車したときだった。このときの編成はオールキハ40の4両編成だった。この時はものすごく鈍重な走りだけが印象に残った。近代的な内装と近郊形電車同様の外見とは裏腹に、とにかく遅い!と苛ついてしまった。そして、帰りは何も考えずに臨時特急でさっさと帰ってしまった。この時乗った臨時特急が80系気動車の乗り納めになろうとは、その時は知る由もなかったのだが……。

図2 キハ40の外観

それ以来、キハ47などには何回か乗ったものの、キハ40にはご無沙汰していたのだが、2002年、楓駅を訪問する際に久しぶりに乗車した。この時の車両はキハ40-790であった。それ以来、北海道に足を運ぶたびにこの形式にはお世話になっている。特に700番台の車では、ワンマン化改造を受けてはいるものの車内は国鉄時代の名残を良くとどめていて、つい懐かしい気分にさせられる。そして、北海道の車両は概して大切に使われており、車体や客室に痛みが少ないこともあって、当分現役で働いてくれそうな感じがするのも心強い。第一印象の悪さはどこへやら、国鉄時代の生き残りとなった今では、非力なエンジンで必死に頑張るキハ40がむしろいとおしく思えてくるから不思議である。

そして、もっぱらローカル線の普通列車として使われていることから、その線区の生活を垣間見ることが多いのもまたこのキハ40に乗っているときである。通学列車に乗り合わせると、その土地の意外な慣習に接してびっくりするときがある。石勝線夕張支線の南清水沢駅では、高校生がどう見ても3年生男子>3年生女子>2年生男子>2年生女子>1年生男子>1年生女子の順で列車を降りているように見えるのに驚いた。2003年の10月のことだったが、いまどきそのような序列で列車を利用するところが残っているとは、と本当に驚いた。

機関換装を行って1700番台になっている車があることから見て、キハ40はまだまだ現役で働き続けるものと思われる。車内設備には痛みが少なく、10A・10Bといった番号札のつけられたボックスシートは国鉄時代の雰囲気を残すものである。エンジンさえ車体に見合ったものになれば、まだまだ十分働けると思う。ぜひとも頑張って欲しい。

なお、キハ40、キハ47、キハ48の現況についてはWikipediaの該当ページに詳しく書かれている。