皇室典範改正問題では冷静に

皇位継承者難に端を発した皇室典範改正問題では、様々な人が様々な意見をネット上で開陳しておられますが、よほど思い入れが深い問題なのか、過激な物言いも少なくありません。

私自身の意見を言えば、考古学上はすでに王朝交代は何度も起きているのですが、それにもかかわらず「易姓革命」より「万世一系」の伝統を選んだ歴代王朝の意志を尊重しようと考えます。ですから、男系による継承で行ける所までは行くのが良かろうと考えています。ただし、側室制度や養子相続は問題が多いので、昭和天皇と出来るだけ血縁の近い旧宮家の復帰の方が良いと考えるに至りました。消極的男系維持派といったところでしょうか。女系容認に傾いていた当初とは大分違います。

ですから、男系維持派が単に「伝統を重視すれば、遠い傍系による男系継承の維持のほうが、直系双系主義(近い直系による継承を優先)による女系天皇が皇位を継承することよりは良いと考えます。」と言うのであれば、「そうですね。」と同意して終わりです。

しかし、熱心な男系維持派(というより女系天皇反対派)が次のようなことを言い募るのを見ると、かえって逆効果にならないかと心配してしまいます。

例えば、

  • 女系天皇容認は○○(○○には中国、韓国、創価学会、左翼、小泉総理、外務省などが入る)がタッグを組んで仕掛けた陰謀である。
  • 皇太子を廃太子にし、秋篠宮の子孫に皇位を継承させるべき。
  • 女系天皇容認論が優勢なのは、男系の女性天皇と女系の区別も付いていないためである。
  • 男系が途絶えたとたんに王朝交代になるのが分からないのか。

と言った言説があちこちに書き込まれているのを見かけます。「山の手の日常」さんの2006年3月23日付けのエントリー「天皇家をめぐる伝統と変化」における、主婦A(あ)さんを名乗る方の書き込みがその典型例です。ここに引用するのは憚られるような内容なので、当該エントリーのコメント欄をご覧ください。

しかし、このような書き込みはどう考えても逆効果のように思います。

まず、陰謀論的な主張ですが、このような主張は言えば言うほど浮き上がってしまい、一般の方はすっかり引いてしまいます。

「皇太子は皇室祭祀に無関心であるから廃太子に」、と言い立てる強硬な方も少なからずいらっしゃるようですが、皇太子殿下の皇位継承者としての適格性の問題は、本来皇位継承順位の問題とは関係がないはずです。昔だったらこのような言辞を弄すること自体不敬のそしりを免れ得ませんし、不穏当な発言と解されても仕方ないでしょう。皇太子殿下を押しのけて秋篠宮殿下や三笠宮殿下、さらには旧宮家の子孫を即位させたいという皇位簒奪運動と解釈されかねません。当の秋篠宮殿下や三笠宮殿下が困惑していらっしゃるのではないでしょうか。

また、この問題に熱心とは言えない一般の方が男系と女系の区別が付いていないとは思いません。日本の教育レベルは母系制と父系制の違いが分からないほど低くはないはずです。むしろ、古代日本は母系制が強かったと言う理由で、敢えて女系天皇を積極的に支持されている方を何人も見かけたくらいです。分かっていて女系支持、これはフェミニストや左翼以外でもそういう方が結構いらっしゃいます。

王朝交代、と言う言葉も不用意に使えません。欧州の王室では従兄弟以上血縁が離れるともう王朝交代と見做される例も多いからです。欧州と日本は違いますから、過去の先例から、5世孫もしくは7〜8親等くらいまでは王朝交代にならないと強弁できそうですが、それ以上になると男系による継承を維持するための傍系による皇位継承がかえって王朝交代といわれる原因を作りかねません。それを避けるため、いざ旧宮家の復活を実現したとしても、結局は女系をたどって昭和天皇との血縁を持ち出すことになるのではないかと思います。

先ほど述べなかったY染色体論ですが、Y染色体も結構突然変異や交差現象を起こすようで、仮に遺伝学的に「万世一系」が真実だったとしても、神武天皇の形質をどれくらい維持しているか疑問です。また、そう言う事を言うと、「おれだって神武天皇と同じYを持っているんだぞ。」と言いたくなる方も多いでしょう。そんな言い分は臣籍降下した時点で無効なのですが。

これに加え、主張の当否とは関係なく、「男系維持派=遠い傍系による継承派」と「女系容認派=近い直系による継承派」の対立が、あたかも異なる政治勢力同士の代理戦争のように見えてしまって、国論の分裂と対立が深刻なレベルに達してしまって居るように感じられるのも深刻な問題です。

幸い、秋篠宮妃殿下のご懐妊により対立は水入りとなっていますが、もしまたも内親王殿下のご誕生、となればまたこの問題がヒートアップすることになりかねません。

熱心に男系の維持を説くのは良いのですが、余り陰謀論や過激な言説を書いて回るのは逆効果のように思います。言うのは「少なくとも飛鳥時代以来の伝統」、それだけで十分ではないでしょうか。廃太子だの、陰謀論だの、国民は無知だのと余り言い立てると、かえって反発を生じて逆効果になってしまいます。