昨日の福知山線列車事故追悼慰霊式について

2005年4月25日の福知山線列車事故から1年。昨日、JR西日本の主催で「福知山線列車事故追悼慰霊式」が行われたとのこと。しかし、慰霊の対象は運転士を含まない乗客106人だった。JR西日本が3月27日に式次第を発表した際の神戸新聞の記事(「尼崎脱線事故 JR西、追悼慰霊式の式次第発表」)によると、

JR西は慰霊式の内容を遺族アンケートを踏まえて決定。慰霊の対象は、運転士を含め百七人とすべきだとする声もあったが、百六人を希望する意見が上回った。

神戸新聞「尼崎脱線事故 JR西、追悼慰霊式の式次第発表」より

とのことである。

運転士だけが慰霊の対象から除かれた背景については報じられていないようであるが、遺族感情から見てJR西日本に対する不信感が今なお強く、JR西日本を許せない、とする感情も強いためではなかろうか。

しかし、日本人の慰霊に対するあり方からみると、非常に強い違和感を感じた。死者に対して、その者が有責だから慰霊の対象から外す、と言うようなことは余り例がないのではないか。大和民族は禍日神や動物霊のようなものですら(祟りを怖れてであろうが)カミとして祀ってきた民族である。第二次世界大戦で日本を敗戦に導いた指導者層でさえ、中共のように敵対階層として差別するようなことはせず、他の殉難者とともに靖国神社に祀られているのである。

率直な感想として、「霞ヶ関官僚日記2.0」さんのコメント欄に書き込まれた、

『日本って、だんだん中国化してるんですかね。「死んだら同じ仏様」じゃないのか。そういうのって、昔の日本人はもっと寛容だったんじゃないかと思うんですけど。村八分だって、火事と葬式の「二分」は例外だったはずなのに。だんだん気が付かないうちに、狭量で嫌な国になっている…気がしますね。』

「霞ヶ関官僚日記2.0」コメント欄

というコメントと同じものを感じた次第である。

運転士の方も含めた、犠牲者全員の冥福をお祈り申し上げます。