1973年の記憶

1973年といえば、私が北海道の中学校から埼玉県の中学校に転校した年である。この年、沖縄県の那覇市や東京都の立川市などが自衛官とその子弟の住民登録を拒否する、という事件があった。その事件が大きく報じられるや、私のクラスの雰囲気が俄かに不穏になり、

「自衛隊は憲法違反だ。憲法は国家の最高法だ。法律を守ってこその人権であり、憲法を守らない人間には人権は無い。故に憲法違反の組織に属している自衛官には人権は無い。自衛官に人権は無いのだから、住民登録する必要は無い。自衛官の子供も、親が憲法に違反しているのを知りながら、親が自衛隊を辞めるように働きかけることもせずに、唯々諾々と養われているのだから、憲法違反の共同正犯だ。従って自衛官の子弟には憲法26条で定められた教育を受ける権利は無い。お前ら自衛隊に養われている人間には人権は無い。自衛隊に養われている犬は帰れ。二度と学校に出てくるな。」

という大合唱が起きて、自衛官の子供であるというだけで人権を否定され、犬畜生呼ばわりされた。

しかし、自分は犬畜生ではないし、このまま負けるわけにはいかないので、

「憲法に定められた人権は、たとえ憲法それ自身に違反したとしても侵されない基本的人権であり、何かの法を守らないからといって剥奪されるようなものではないはずだ。選挙違反などで停止できる公民権とは次元が違うものである。私はそう思わないが、百歩譲って自衛隊が違憲だったとしても、自衛隊法が無効になるだけで、自衛官の基本的人権が剥奪できるわけではない。従って、『法律を守らないものに法律の保護は及ばない。』という彼らの主張は絶対におかしい。」

こう叫んでも誰も(教諭の先生方も)味方してくれない孤独な状態を、1974年3月の卒業まで続けてきた。

今でもその者どもを赦す気は全くない。当時我々自衛官の子弟には人権が無い*1とした者への復讐心は、今も心を煮え立たせて止むことが無い。

昔の学校では、こういうイデオロギー対立で人間が人間であることを否定するようなことを平気でやっていたのだ。教育現場がおかしいのは今に始まったことではない。昔も今も、大して変わっていない。

それにしても、31年もたった今、どうしてこんな日記を書くのか。負わされた心の傷を、流した血を忘れたくはないからである。過去の日本では、1973年という時代にはまだ、ここまで先鋭化したイデオロギー対立があったことを時の彼方に流したくないからである。


*1 自衛官の子弟には人権が無い:日教組や代々木系の人たちでさえも私に対してそのようなことは言わなかったが、社会主義協会派系の人にはそのように言う人が居た。