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Maple Leaf Diary -楓葉日記-

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2020-07-08 (Wed)

Updated: 2020-07-08 20:49 by Kaoru Norimoto

[Web][サイト管理] Google構造化データテストツールの終了予告

Googleウェブマスター向け公式ブログの7月7日付け記事「ベータ版リッチリザルト テストの終了」によると、

Google はここに、リッチリザルト テストが Google 検索の全リッチリザルト機能に完全対応し、ベータ版が終了することを発表します 🥳。また、Google は構造化データ テストツール 👋 のサポート終了を予定しています。当面は引き続きご利用いただけますが、今後は構造化データのテストおよび検証には、リッチリザルト テストのご利用を強くおすすめします。

とのことらしい。

筆者はこのツールをGoogleのいう「リッチリザルト テスト」のためよりもむしろ構造化データマークアップの汎用的なチェックに使っていたので、地味に打撃を受けている。HTMLの手打ちでできたウェブページにやはり手打ちでmicrodataをマークアップしているのだが、出来たものが正しく認識できるかどうかのチェックに「構造化データテストツール」は非常に便利だったからである。

何が問題なのかというと、「リッチリザルトテスト」ではリッチリザルト対象しかチェックできないのに対し、「構造化データテストツール」はリッチリザルトとして使われていない構造化データであっても(Googleが認識できる範囲には限られるが)チェックできる点である。

「構造化データテストツール」廃止の時までに代替ツールが見つかるのであろうか。少なからず不安を感じている。


2020-06-22 (Mon)

Updated: 2020-06-22 12:55 by Kaoru Norimoto

[サイト管理][Web] サイトのメンテナンスで感じたこと

現在、古いサイトのメンテナンスとして、構造化マークアップの修正とHTMLの修正を全ページに対し順次行っている。基本はHTML5とmicrodata(文書型はtext/html)、トップページは例外的にXHTML5とRDFa(文書型はapplication/xhtml+xml)、自己紹介ページも例外でRDFとXSLスタイルシート(文書型はapplication/xml)としている。HTML5としてvalidでかつRDFaまたはmicrodataとしてもきちんとした情報を埋め込むというのは手作業だとなかなかしんどい。昔流のHTML手打ちの個人サイトが廃れたのも無理のないことだと思う。

ただでさえやれマネタライズだ、やれSEOだとうるさくなってウェブ界隈が鬱陶しい雰囲気になっているところに、コーディングの敷居までもが高くなっているのだから、個人サイト界隈が過疎化するのも時の流れで仕方ないとは思うのだが、せっかく作り上げたものを残しておきたい、内容はともかく仕様上は陳腐化させたくないとの思いでメンテナンスを行っている。


2020-06-08 (Mon)

Updated: 2020-06-07 18:10 by Kaoru Norimoto

[サイト管理][回想] 当サイトの外見の変遷(その2)

前日のエントリーで当サイトのトップページの変化を振り返ったが、今回は記事のレイアウトの変化について振り返ることとする。当サイトの各記事は原則として色違いの同一レイアウトなのだが、メインは人間ドックについてなので、人間ドックの記事を例に挙げることが多くなる。ただ、インターネットアーカイブ側でうまくCSSを拾えていない場合は他記事のキャプチャー画像を用いた。

各記事のレイアウト

2000年10月2日

2000年10月2日の記事

図1 2000年10月2日の記事

フロントページで作ったため、横線が画像になっている。普通にフレームを使っているのが分かる。この頃は普通にそんなことをやっていた。

2002年6月11日

2002年6月11日の記事

図2 2002年6月11日の記事

「HTML文書の内容と見栄えを分離し、レイアウトはCSSで」ということが当時言われ始めていたため、HTMLを手打ちに戻してソースを綺麗にしたうえでCSSを適用するようになった。見出し要素もCSSで装飾したのだが、よくあるL字型とは上下逆のボーダーになっているのが目に付く。

2003年2月3日

2003年2月3日の記事

図3 2003年2月3日の記事

CSSでサイドバーを表現している。この頃はサイドバーを画面左側に置く流儀をとっていた。

2006年2月6日

2006年2月6日の記事

図4 2006年2月6日の記事

省力化のためサイト全体でtDiaryを用い、ブログツールのように運用することにした。そのため外見がブログのようになってしまった。以後このスタイルが標準となる。

2009年12月2日

2009年12月2日の記事

図5 2009年12月2日の記事

tDiaryは便利だったが、ページが動的生成になるためいつの間にか500エラーを吐いてしまうことがあり、静的ページに置き換えた。外見については最小限の変化に留めた。

2012年6月22日

2012年6月22日の記事

図6 2012年6月22日の記事

マウス操作の都合を考え、サイドバーを右側に配置することとした。以後8年間にわたりこのレイアウトが当サイト記事の標準となった。ブログチックなデザインは相変わらず。この頃からレスポンシブデザインを取り入れるようになった。

2020年6月8日

2020年6月8日の記事

図7 2020年6月8日の記事

見出しなどがちょっとくどく感じられるようになったため、少しシンプルにすることを意図して8年ぶりに模様替え。ついでに構造化データのチェック、常時SSL化などを合わせて行った。

おわりに

インターネットアーカイブ側の都合でうまくキャプチャーされていないデザインもあるため、ここに示したものが全てではない。だが、当サイトのデザインはかなり早い時期からブログチックだったし、今後もそうなるのでは、という気がする。


2020-06-07 (Sun)

Updated: 2020-06-07 11:52 by Kaoru Norimoto

[サイト管理][回想] 当サイトの外見の変遷

ウェブサイトを初めて公開したのが1997年9月なので、当サイトも開設してもう22年以上経過していることになる。当時使っていたHTML文書もCSSも保管していないし、キャプチャー画像も撮っていないので、昔を振り返ろうにも通常ならどうしようもなくなるところだ。しかし、世の中には世界中のウェブサイトの魚拓を集めているところがある。有名なのがINTERNET ARCHIVE Wayback Machineで、ここを利用して過去の当サイトのトップページと配下のページのキャプチャー画像を取得し、当サイトの歴史を振り返ってみることにした。

トップページの変遷

1999年11月28日

1999年11月28日のトップページ

図1 1999年11月28日のトップページ

この頃はまだフロントページというホームページ作成サイトを使っていて、リストマーカーや水平線に画像を使っていたり、FONT要素が平気で出てきたり、ぐちゃぐちゃなソースを吐き出していたり、今から見ればひどい作りだった。この少し前には記事へのリンクまで画像になっていた(流石にテキストリンクも用意はしていたが)から、穴があったら入りたい気分である。

開設当初はHTML文書も手打ちで、ウェブセーフカラーのどぎつい背景にテキストと水平線があるだけの簡素なものだったが、その後にフロントページが発売され、ホームページ作成ソフトの便利さに負けた結果がこれである。

昔風の如何にも、といった作りで、まだまだいわゆる「ホームページ」な作りだった。

2006年2月4日

2006年2月4日のトップページ

図2 2006年2月4日のトップページ

当時は配下の記事のそれぞれが独立したサイトと考えており、検索サイトにもそのように認識されていたようだった。しかし、いわゆる「だるま落とし」でドメインルートにアクセスされた場合に困るので、形だけのトップページを置くことにした。その結果がこのように非常に素っ気ないページとなった。

2006年8月13日

2006年8月13日のトップページ

図3 2006年8月13日のトップページ

紫系の色彩は他の記事で使っており、重複回避の必要があったこと、加えて記事の分類ごとに色彩を統一している都合上、トップページがどの記事にも属さないことを示す意味で無彩色を採用した。ますます素っ気ないページになってしまった。

2009年10月1日

2009年10月1日のトップページ

図4 2009年10月1日のトップページ

これまで独立した別サイトと考えていた各記事を纏めて一個の個人サイトに再編成することとし、話題に統一性がないことから雑記帳のようなものだと「楓葉雑記帳」の名を与えた。これに伴うトップページの変更である。

2014年9月10日

2014年9月10日のトップページ

図5 2014年9月10日のトップページ

検索窓が付いたくらいで機能的には大きな変更はなく、むしろセマンティックウェブを意識してXHTML+RDFaで書き直し、HTTPヘッダーでMIME型にapplication/xhtml+xmlを与えるなど、目に見えない変更が主体であった。すでに更新がほぼ止まっている古いサイトの保全とメンテナンスという性格が強い更新であった。

おわりに

画像が多くなったので、配下の各記事については次回に取り上げることにする。


2020-05-24 (Sun)

Updated: 2020-05-26 12:52 by Kaoru Norimoto

[地理] 県境を越える移動を自粛せよ、という言説に違和感

コロナウイルス感染が拡大していた時期、盛んに「県境を越える移動を自粛せよ」と唱える人たちをあちらこちらで見かけた。「不要不急の」という修飾語がついてはいるものの、一部の県では他県ナンバーの車を破壊する、という犯罪も起きているという。

しかし、県境をそんなに絶対的な壁とみなす感覚に激しく違和感を持ってしまう。生活圏が県境を越えるところはそんなに珍しくない。東京都に隣接するすべての県と東京都の間はもちろんのこと、千葉県の北総地域と茨城県の常総地域も普段から人的移動が多い。利根川の両岸ともに旧下総国であり、過去には利根川の両岸が印旛県という一つの県だったことからも両者の関係の深さは納得できるものである。実際、稲敷市や稲敷郡河内町から成田市や印旛郡栄町への通勤者もかなり居て、もし県境を越える移動が(今の憲法では不可能だが)戒厳令でも出て禁止されたら成田市や印旛郡栄町の病院は機能停止に追い込まれるだろう。

そもそも、利根川自体が取手付近では江戸時代の治水工事による人工的なもので、印旛県を千葉県と茨城県(一部埼玉県も)に分割するまでは県境でも何でもなかったはずである。この他にも千葉県と茨城県には鹿嶋市と香取市のように古代から交流が深い地域があり、県境を越えて移動を自粛したら生活圏が分断されてしまう現実がある。

もちろん、県当局は生活圏を同じくする県境の両側間の移動まで自粛させるつもりはなく、だからこそ「不要不急の」という枕詞を付けるのだろうが、いわゆる自粛警察の面々にとってはそんなのは関係なく、他県ナンバーを見ると悪即斬、とばかりに攻撃するのだろう。しかし、そんなに県境を絶対視できる感覚というのがどうしても分からないのである。

参考



平成16年4月11日開設
平成17年4月17日移設
乗本 knorimoto
Website: サイト「楓葉雑記帳」
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