クラシックの作曲家とのファーストコンタクトを回想する

どんなものであっても、それを好きになる切っ掛けというものがある。クラシックの作曲家であってもそれは変わらない。ファーストコンタクトになる最初に聴いた曲が気に入ったから、という場合がやはり一番多い。筆者の場合について回想してみた。

  • ベートーヴェンの場合
    • 交響曲第5番
  • シューベルトの場合
    • 交響曲第7番
  • ブルックナーの場合
    • 交響曲第7番
  • モーツアルトの場合
    • 交響曲第40番
  • ショスタコーヴィチの場合
    • バイオリン協奏曲第1番
  • シベリウスの場合
    • 交響詩゙゙゙゙゚゚「エン・サガ」

ファーストコンタクトは意外と長いけれど普通の曲だと思う。ただ、これが一番好きな曲になるかというとそうでもない。ベートーヴェンなら何故かピアノソナタ「ワルトシュタイン」か「テレーゼ」といった中期の曲だし、シューベルトなら歌曲集「冬の旅」、ブルックナーなら交響曲第2番か第5番、ショスタコーヴィチなら交響曲第10番か第8番か第4番で迷う。シベリウスなら交響曲第5番か第6番か第7番になるだろう。

必ずしも易しい小品がとっつきやすいというわけではなく、長くて難しいとされている曲でもストンと腑に落ちることも多い。初心者向けとかマニア向けという評判には余りこだわることはないと思っている。最近気に入ったのはシェーンベルクの弦楽四重奏曲第3番。無調でもちゃんと音楽になっていて精神的ですらある。十二音技法が「ゲンダイオンガク」の象徴として悪者になっているが、あれはシェーンベルクが悪いのではなく、後続の音楽家たちの失敗のような気がしてならない。

話が逸れてしまったが、クラシックが敷居が高い、というのは当たっていないと思う。むしろ、ポップスの歌ものの方が歌詞がある分、否定的な感情が沸き起こって敷居が高くなる。音を楽しめなくなるのだ。メタルの方が歌詞が聞き取れなくなる分まだましである。というわけで、インスツルメンタルかつアコースティックなクラシック音楽は音を音として聴ける分心身に優しいとも言えると思う。