今の沖縄が今までとは別の意味でとても怖い

「農と島のありんくりん」の2015年11月11日付記事「移設反対派の「民意」が勝利した場合はどうなるだろうか?」において、以下のように述べられている。

そんな過激な「抵抗があたりまえだ」という人たちが、大勢いる島、それが沖縄。この「怒りと抵抗の島」というイメージは、今や本土人の間で定着しつつあります。

農と島のありんくりん「移設反対派の「民意」が勝利した場合はどうなるだろうか?」 より

私はこの記述は少し甘いのではないかと思った。以前にも述べたと思うが、私自身は1972年から一貫して那覇市と立川市にそういうイメージを持っていた。自衛隊員とその家族に住民登録を拒否するという人権侵害を平気でやる土地、それが那覇と立川だと考えていた。住民登録を拒否するということは自衛隊員の子供に生まれたというだけで小学校に入る権利がない、自衛隊員とその家族には公民としての権利がないということだからである。

それに触発されて、全国の反自衛隊運動が一時的にではあるが活性化し、「憲法9条に違反している自衛隊員には人権がない、だから自衛隊員の家族には教育を受ける権利がない、したがって明日から学校に来るな」という怒号を同級生から受けて育った。このことは当日記で何度も言及したことである。1年先輩の自衛官の子弟は吊し上げに加えて投石も受けた。当時は少年工科学校の自衛隊生徒は東京都下と神奈川県下以外では制服着用で外出するのが禁じられていた。投石を受けるからである。1973年当時、反基地闘争の強い地域の中学校は政治闘争の場になっていた。当の沖縄よりも本土の方が酷かったかもしれない。当時は学校の教師が煽らなくても、同じ学校の生徒が勝手にヒートアップしていた。

過激な官公労と左翼政党は、「沖縄の反基地闘争は我々の精神的な支柱だ」と言い放っていた。おかげで、那覇と立川の市域に入るだけで、当時のトラウマから身構えてしまい、周囲の視線が刺さるように感じてしまうという(自意識過剰と言われればそれまでですが)情けない有様になってしまっていた。

それも仲井真前沖縄県知事の時代にはずいぶん緩和されて、沖縄県と那覇市に対する恐怖感も過去のものになろうとしていたが、翁長現知事になってから、県知事自身が危なっかしい発言ばかりするので、別の意味での沖縄県に対する恐怖が出てきてしまった。

特に決定的なのは、例の「自己決定権」。同ブログの管理人の示す通り、これは翁長知事の文脈で使うと国際法的には民族自決の原則と不可分の言葉で、私は「これで沖縄は世界に独立宣言をしたのだ」と捉えた。そして、現沖縄県知事は何をしでかすか分からない、という恐怖が芽生えてしまった。

台湾の馬英九総統と同格の危なっかしさを現知事には感じる。石垣島、宮古島、与那国島、さらには台湾を巻き添えにして日中の勢力圏の境界を一気に奄美諸島まで引き寄せてしまうのではと不安になった。

こういう恐怖感を持つ人は本土側には他にも居るようで、「新基地」「民意」「抵抗」などという言葉の効果は本土側にも一定の影響力を持ってしまっている。ただし、身構える、あるいはアンチ沖縄を増やすという逆効果のベクトルであるが。

このままでは、本土側にも売られた喧嘩は買うぞ、という人たちが発生し、少なからぬ人が恐れている沖縄と本土の衝突を逆に待望する人たちが本土側にも出てきかねないと、沖縄問題の行方に緊張し身構えているところである。

反基地闘争が勢力を伸ばせばそれ自体危険であるし、失速して翁長知事のリコールまで行くようでも、最後っ屁でとんでもないことをやらかしかねない。県知事という立場はそういうことができる立場である。

2015年11月5日付の「産経抄」「台湾の選挙が気になる中国 11月5日」によると、台湾の李登輝元総統が馬英九現総統について「馬英九が何をしでかすかわからない」と警戒していた(具体的には「和平協定」を中国との間で強引に締結するなど)とのことだが、同じように翁長知事が辞任直前に中華人民共和国の意を受けた左翼に脅され、琉球独立宣言みたいなことを言わないか、とても心配である。この手の発言は無効であろうと何であろうと言っただけで動乱のきっかけになりうるからである。

沖縄の人は本土よりも争いを嫌う人たちで、その実態は「怒りと抵抗の島」でも何でもないと分かってはいても、今度は県民の真の意思から浮き上がったところで暴走しかねない県知事のおかげで、沖縄に対する新たな恐怖が増幅されている。

正直に言って、今の沖縄が今までとは別の意味でとても怖い。