集団的自衛権の行使を交戦権の行使であるかのように印象操作してはいけない

集団的自衛権はそもそも自衛権であって、同盟国と共同での作戦行動の際に一方が攻撃を受けた場合に他方の軍が発動するものである。日本国憲法が禁じている交戦権の発動とは直接関係がない概念である。憲法上問題になるのは、本来作戦行動そのものが自衛権の行使なのか、一般的な交戦権の行使なのか、交戦権にも自衛権にも関係のないその他の軍事行動なのかである。交戦権を発動してさえいなければ、他国と共同で軍事行動中に同盟軍が攻撃を受けてそれに反撃するのには本来何の問題もないはずである。

「集団的自衛権の行使はアメリカの侵略戦争に加担するから駄目だ」と言っている人が多いようだが、もしアメリカの侵略戦争に加担したのなら、それは交戦権の行使であってそもそも自衛権の行使ではない。一般的な交戦権の行使と自衛権の行使をわざとごっちゃにする意見には賛成できない。集団的自衛権を行使してもしなくても、その時行っていた軍事行動が専守防衛の原則に照らして正当ならば憲法上可、不当なら不可、ただそれだけのことなのに何を騒ぐのであろうか。

集団的自衛権の行使を即交戦権の行使であるかのように印象操作してはいけない。

追記

2014年6月30日付の「イザ!」の記事「【世界のかたち、日本のかたち】自国を防衛する権利」で大阪大教授・坂元一哉氏が述べている、

集団的自衛権は、その「内容」こそ他国の防衛かもしれないが、「目的」は自国の防衛であり、文字通り自衛のための権利である。自国の防衛と関係なく他国を防衛する権利ではないし、いわんや他国の戦争に参加する権利ではない。

イザ!「【世界のかたち、日本のかたち】自国を防衛する権利」 より

という一節がまさに私が言いたかったことである。