調によってイメージが変わることの背景を考える

西洋音楽の場合、長調と短調であわせて24の調があることは良く知られている。五度圏を閉じる必要がなければ無限にあるのだが、そういうわけには行かないので24に制限してある。そして、24の調のそれぞれについて、お約束のように語られるイメージがある。

しかし、古典調律の時代ならともかく、12等分平均律でピアノが調律される現代に、各々の調にピッチの差以上の表情の差があるとも思えないのだが、ヘ長調の曲には長閑なものが多いし、ホ短調の曲にはロマンチックなものを感じることが多い。ハ短調といえば「運命」だし、ロ短調と言えば「悲愴」のイメージが湧いてくる。どうもそれぞれの調には固有の性格のようなものがありそうな気がしてならない。

そうしたイメージの源泉として考えられるのが、古い時代からのお約束、調のイメージを支配する名曲の存在、各調ごとの楽器の鳴り方の差異、古典調律での調による楽器の鳴り方の差などである。

古い時代のお約束と言うことになると教会旋法にも言及しなければならなくなって、私の理解の範囲を越えてしまうが、ヘ長調が明るいのんびりとした気分に良く合う調だったのは昔からのお約束だったようである。

調のイメージを支配する名曲と言えば、ヘ長調でベートーヴェンの「田園」、変ホ長調でやはりベートーヴェンの「英雄」、ハ短調はこれまたベートーヴェンの「運命」。流石ベートーヴェンは偉大な作曲家である。これほどの支配力を持つのは他にはロ短調でチャイコフスキーの「悲愴」があげられるくらいだろう。

楽器の機能が影響していると思われるのはニ長調、変ロ長調、変ホ長調である。バイオリンの開放弦がG−D−A−Eなので、Dが第1音でAが第5音になる調では良く響く。移動ドでドとソになる音が重要なのは言うまでもない。Dが第1音、Aが第5音になる長調はニ長調に他ならない。だからニ長調の曲では弦楽器の表情が強く出ると言われる。ニ長調は壮麗な調、というイメージはこの辺から出たのではないだろうか。一方、変ロ長調はBフラット管のクラリネットが鳴らしやすい調だし、変ホ長調はホルンが良く鳴る調と言われる。変ホ長調の勇壮なイメージはホルンが作ったもののような気がしてならない。

また、古典調律の調性格に与える影響も無視できないようで、「MIDIで古典調律を」によるとヴェルクマイスター調律では調号の少ない調は純正な長3度が多く、調号の多い調はピタゴラス長音階のように鳴るそうである。実際、MIDIデータで調律をいじりながら「幻想即興曲」を聴く(「MIDIによる調律法聴きくらべのページ」参照)と、ヴェルクマイスター調律やキルンベルガー調律の元では、原調である嬰ハ短調・変ニ長調本来のデータではメロディーが流麗に聞こえるが、ハ短調・ハ長調の音関係を半音上げたデータを使った場合、変な音楽になってしまうようである。ショパンは調号の多い調を好んだといわれるのも、当時のピアノの調律法に原因があったのかも知れない。当時のピアニストにとっては、半音上げたハ長調と変ニ長調は違うものだったのであろう。

ここまで調によってイメージが異なる原因を考えてきた。しかし、今まで述べたようなイメージは人によって異なる余地があるもので、余り絶対的なものではない。調ごとに性格が異なるのは確かだが、普遍性を求めるのは不可能とも思える。

しかし、そんな中で、誰もが同じようなイメージで語り、同じようなイメージで作曲しているとしか思えない調がある。それはヘ長調である。私の音楽経験が足りないだけなのかもしれないが、ヘ長調で悲愴な気分やねじくれた感情を表現した曲と言うのにほとんどお目にかからない。これだけ多数の人に長閑な田園風景を想起させるヘ長調と言うのは、イメージの強靭な一貫性という意味で実に偉大な存在のように思える。